ピギーズ - 適応 |4,573文字

適応

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 わたしの生活は小学生時代の2年半の間にいじめられた経験と、豚美の存在を基盤きばんとしてできあがっていった。自分の顔が見られず、男子たちに定期的に狩られ、ブタと言われつづけ、苦しみを豚美に餌として与えるあいだに、わたしの生活は不思議と研ぎ澄まされていき、女子にしては簡素なものになっていった。豚美によって自分の顔が見られないから、わたしは年齢があがってきても、オシャレだとかメイクだとかに興味をもたなかった。運動神経がよくないのでスポーツもしなかった。これといった趣味ももたなかった。習いごともしなかった。ただ気ままに食べ、それ以外の時間はとにかく勉強をした。勉強によって自分自身の余白時間をつぶしていくことを習慣として選んだのだ。

 わたしは授業をきちんと聞き、ノートをまめにつけ、教科書を何度も何度も読んだ。意味を理解していない場所を探しまわっては、必要な場所に線を引き、気になった箇所をノートに写しとり、興味がわけば図書室で資料を借りたりインターネットで調べたりして、ふたたび別のノートにまとめた。積極的に教師に質問することはなかったが、疑問があれば授業後や放課後に職員室へいき、個別に質問した。(4年生のとき、担任だった女性教諭とはきっぱり距離を置き、絶対に質問しなかった。)勉強は別に楽しくなかったが、やりがいがないわけではなかった。知らない知識を積み上げたり、今まで自分の頭になかった思考が身につくことには充足感があった。勉強を進めるには時間がかかるから、単純にいい時間潰しになった。それに勉強をやっていれば、おのずと成績が上がり、学校側から評価されるのもよかった。

 長期間いじめられるということは、仲間をなくしていく過程に適応することでもあった。わたしは小学4年生からポツポツと親しい女友達を減らしていった。常に攻撃され、陰気な空気をまとう人間からは、自然と人が離れていくものらしかった。外見を気にしなくなり、まゆ毛がつながりっぱなしだったのもよくなかったかもしれない。男子たちのわたしへの豚狩りを知らないのは教員たちばかりで、児童は当然、わたしの状況を知っていたから、彼らの矛先ほこさきが自分に向かってくる可能性が怖くて離れていったのかもしれない。どの理由にせよ。まあたしかにそうなるだろうなと思った。わたしだってきっとわたしみたいな奴がいたら距離を置いてしまうだろう。仕方ない。そう、仕方ないものなのだ。

 わたしは同じクラスの女子たちから、建前上たてまえじょう、仲良く接してもらうだけで満足だった。関係が疎遠そえんになってからも男子たちの攻撃に「やめなよ」とか「かわいそう」とか言ってもらった。素直にありがたかった。十分だった。本当にいじめを阻止するところまで踏み込める友達がひとりもいないのは、それは仕方のないことだろうと思っていた。わたしからすればいじめてくる男子だけれど、他の女の子たちからすれば、その男子だって仲良くする友達のひとりなのだ。友達を真正面から否定などできるだろうか。できるわけがない。どんなに相手が歪んだ部分を持っていようと、実際の人間関係の渦中で、ルールや正義をそのまま真正面に行使できる人間なんていない。みな、優しいのだ。だからそこまでしてくれなくていい。別に十分なのだ。

 いつのまに休み時間もひとりで過ごすようになっていた。孤独はそこまで感じなかった。ただ、いつくるか、どうくるかわからない、男子たちからの攻撃、そのにだけは慣れず、いつも緊張して待っていた。そんなわたしにとって集中できる勉強はぴったりの日常行為だった。

 わたしは勉強をつづけた。4年生が終わり、5年生になっても友達は作らなかった。別にもういらなかった。豚狩りが始まって以来、わたしはほとんど独りだった。それで平気だった。独りといっても天涯孤独てんがいこどくなわけではない。家族も兄弟もいるし、クラスメイトにはやさしい人もいたし、先生のなかにもいい人はいたし、鏡を見れば豚美がいた。だから孤独を感じなかった。

 わたしの生活リズムは一貫したものになっていった。朝、起きて鏡で豚美のことを見て、朝食を食べて学校へ行く。授業をふつうに受けて、あいまに予・復習をする。昼休みと放課後に興味のわいたものを図書室で調べたり、先生たちに質問をする。帰って、お風呂に入って豚美に今日のことを話す。夕飯を食べたら部屋へいき、自分用の学習ノートをまとめる。その繰り返し。

 気持ちを落ち着けるために勉強をしておけば、とりあえずわたしの生活はシンプルにまわった。正直、成績だって別に上がらなくてよかった。テストの点を稼ぐためにやっているわけじゃなかった。ただ気のままに、思うままに淡々と勉強をつづけて、勉強に集中して、ずっと勉強のなかにひたっていたかった。学校にいっている限り、勉強はなくならなかった。次から次へと学ぶことが出てきて、わたしは目の前に差し出されたそれを、好きなものから順に頭に詰め込んで咀嚼そしゃくしていった。

 楽しかった。

 勉強の習慣だけが、わたしを安定させた。

 不思議なことにわたしへのいじめは突然、終わった。

 6年生の卒業式前あたり。気がついたら、あれほど執拗しつようだった男子たちのブタ狩りはパタリとなくなっていた。みんな、ふつうにサッカーや鬼ごっこに夢中になっていて、わたしのことなど最初からいなかったように彼らは彼らの生活を楽しんでいた。誰ひとりとして「久々に豚狩りでもしよう」なんて言いださないし、もはや廊下ですれ違ってもわたしを見ることすらしなかった。

 そうかと思った。通り過ぎたのだ。わたしは狩られるだけ狩られて、それでお終いの役割だったのだ。この2年半はわたしにとって、とても長かった気がしたが、彼らにとってはそうでもないし、すぐに忘れてしまう程度のことだったのだ。そうか。そういうものだったのか。別にもうどうでもよかった。強がりでなく自然にそう思えた。だってわたしからしたって、彼らは結局、豚美のえさでしかなかったのだから。

 鏡を見た。豚美がぶうぶう鳴いていた。不思議な豚だなと、あらためて彼女を見つめた。わたしの顔を隠し、わたしの苦しみを食う豚。いったいなんのためにこんな豚が現れたのだろうと考えてみたが、やっぱりわからず、ぶうぶうと鳴く豚美を見てまぁいいかと疑問をなかったことにした。ふと、豚美がせている気がした。

「豚美、痩せた?」鏡に向かって聞いてみた。

「ぶうぶう」

「もしかして、いじめられなくなったから、おなか減ってる?」

「ぶうぶう」

「わたし、あなたのおかげで嫌なことも、頑張って耐えられたよ。感謝してる。もういじめは終わったみたい。あいつら、もうわたしに何をしてたかも覚えてないよ、きっと」

「ぶう」

「でも、もしいじめられなくなったことで、豚美がわたしの苦しみを食べられなくなっちゃうなら、どうしたらいいんだろう? なにか別の苦しみをあげなくちゃかな?」

「ぶうぶう」

 小学校を卒業して、中学校にいくと成績が爆発的に上がった。試験で学年一桁台の順位をとるようになった。当たり前だ。ずっと勉強だけしていて、中学でも同じように過ごしていたのだから。両親も中学でわたしの成績が良いことを知ると、うるさいことを言わなくなった。ちょうどその頃、通いつづけていた美容室で「中学生になったんだから」とまゆ毛の脱毛をすすめられ、やってもらった。自分の外見に関していえば豚美が現れてから無関心で、美容師さんに言われるままにしていた。これでつながりまゆ毛ではなくなったらしかったが、自分では顔を見られないし、もはやどうでもよかった。

 わたしは余暇時間を勉強にあてて淡々と学習をつづけた。

 学年の試験順位があまりに上がってしまうと、無闇にライバル視してきたり、足を引っ張ろうと駆け引きする生徒が出てきたので、意図的に試験で間違えるようにして20番台くらいに順位を下げた。するとうるさいことを言ってくる生徒も減るし、教員や親も安心して放っておいてくれるし、わたしは心置きなく勉強へいそししむことができるのだった。

 わたしを豚狩りして楽しんでいた男子たちは、同じ中学校でそれぞれの学生生活を謳歌おうかしているようだった。ある者は運動部へ入り汗を流し、ある者は進学の内申点を稼ぐのに夢中になり、ある者は彼女をつくって手をつないだとかキスしたとか騒いでいた。すっかり他人のようだった。もうどうでもよかった。わたしは彼らをなるべく早く忘れることに決めた。あんなひどい思い出、さっさとなくなって欲しいと考えた。

 豚美がどんどんせていった。

 豚美を太らせるために、わたしはたまにわざと食事を抜いてみたり、トイレで喉に指をつっこんで吐いてみたり、カッターナイフで自分の手首を切ってみたりしては、豚美にごはんをあげようとした。豚美はそのたびにぶうぶうといって喜んだ。わたしも相変わらず、豚美を見ると優しい気持ちになれた。でもダメだった。豚美はまったく太らなかった。それどころかジワジワとその脂肪を減らし、顔面の肉を削ぎ落としていった。

 わたしは学校で誰とも話さない分、豚美とたくさん話した。勉強でわからないこととか、自分が知りたいと思っていることを話した。授業でどんなことがあったとか、給食はなにをたべたとか、クラスメートたちが教室でどんなことをしていたとか、そういうことをとりとめもなく話した。豚美は終始、うれしそうにぶうぶう言ってくれた。すっかり彼女は大切な相棒だった。しかしわたしは気づいていた。小学生の頃よりも、自分の豚美への関心が薄れていることに。

 おそらく勉強の習慣がわたしの生活と心身を安定させ、一方で豚美を痩せさせているのだろう。そんな気がしてしかたなかった。でも勉強……やめられるだろうか。やめられない気がする。だって勉強をやめたら、あの当時の生活に戻ってしまうような気がして怖いのた。またチエブタと呼ばれ、豚狩りをされる日々。あの時、豚美はたしかに喜んでいたけれど、それでわたしはあの長い長い2年半にも耐えられたのだけれど。でも豚美を太らせるために、ふたたびあの期間に戻るのはなにか間違っている気がした。豚美が痩せないための別の方法が必ずあるはずだ。わたしはそれを探すことを決めた。

 だんだん、わたしの関心は勉強と豚美に集約されていった。顔を見られない期間が長くつづいたせいか、わたしは自分自身の表情をうまく把握できなくなり、そのせいで感情が大雑把で平坦になっていった。クラスの人々と話すとき、わたしだけ会話のノリが違うようで妙な顔をされるのだが、それで人が離れていってくれるのがかえって助かった。わたしにはやるべき勉強が山ほどあったし、豚美をどうにか太らせることに今は集中したかった。豚美が痩せてくるたびに、わたしは自分の生活を見直して、豚美のお腹を満たせるようになにか苦しめるものはないかと探し回った。しかし、何を試してもまったくダメだった。

 やはり、勉強を手放していじめられるしかないのか。迷いは払拭できなかった。思い返してみても、もうあんなみじめな日々には戻りたくなかった。しかし、鏡を見るたびに豚美は痩せてきている。ここ最近は本当に酷い。日に日に痩せていくのがわかり、鳴き声にも元気がない。頬もこけてきている。どうにかしてやりたい。どうにか。

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