緑のおうち|9,020文字

緑のおうち遙夏しま2021・05

「おとうさん。のどがかわいちゃった。おみずのみたいの」

 真夜中。

 息子に起こされる。今、何時だろう。時計も見ずに、ふらふらと起き上がり、水を飲ませにキッチンへいく。深い眠りを急にさえぎられたときの気だるい苛立ち。「もうお兄ちゃんになったんだから、ひとりでもいけるだろう」と言ってみるが彼は聞こえないふりを決め込んでいる。

 息子の遥希はるきは4歳でこないだ弟の斗柑とうかが生まれたばかりだ。男ふたり兄弟のお兄ちゃん。そのお兄ちゃんになれたのが、そうとう嬉しかったらしく、しばらくの間、「自分はお兄ちゃんなんだ」と自分や妻に言ってまわり、テレビ通話でじいじ、ばあばに言ってまわり、そして0歳児の弟にも、誇らしげにいっしょうけんめい説明していた。

「ハルね、のどかわいちゃったの」と暗闇で息子がもう一度、私に語りかける。キッチンは寝室のすぐ隣にあるのだけれど、暗いところにひとりでいくのは、彼にとってまだ怖いらしい。この年齢だとしょうがないのかもしれない。自分もそうだったのかなと考えてみる。息子のように4歳児だった頃の夜。もちろんそんなに昔のこと、思い出せるわけもなく、まぁそうだったんだろうなとだけ、自分に言い聞かせるように心のなかでつぶやく。

 妻と次男を起こさないように、そっと寝室を抜け出し、キッチンへ行き水を飲ませる。遥希用の小さな白いコップに半分だけ水をそそぐ。彼に渡すと両手で持ってごくごくとおいしそうに水を飲む。それを見て、自分も喉が渇いていたことに気がつき、ちかくにあったグラスに水をそそいで飲む。はあと軽く息を吐く。

 久しぶりに家族全員で休日を過ごすからと、夕飯にケンタッキーを買ってきたのが失敗だったかもしれないな。反省する。遥希にはまだしょっぱ過ぎたのかもしれない。夕飯のとき、フライドチキンを見てはしゃぐ息子の横で、妻がなんとなくこちらをじっとりした目で見ていたのを思い出す。あれはそういうことだったのかもしれない。

「お水はもう大丈夫?」

「うん」

「じゃあ寝ようか」

……ねえ」

「ん? なに? まだ飲むのか?」

 息子は「ちがうの」といって、ふるふると首を横にふる。

「みどりのおうち」

「緑のおうち? 緑のおうちがどうした?」

「おとうさん、みどりのおうち、たのしかったよねえ」

 遥希はまだ半分、夢のなかみたいな、ぼんやりした笑顔でこちらを見ている。

 息子のいう「みどりのおうち」とは、今の家へ引っ越す前に住んでいた賃貸の集合住宅のことだ。緑といっても外壁は白いタイルでおおわれていて、とてもじゃないが緑色の建物とはいえなかった。(そのタイルも築30年の経年劣化でくすんでおり、なんとなくねずみ色をしていた。)

 しかし息子は引っ越しのあと、前の家のことを「みどりのおうち」と呼ぶようになり、なにかあると思い出話でもするかのように、当時、家でやったアレコレをつたない言葉で語った。息子の思い出話のたびに繰り返されるその呼び名のせいで、妻も私も、いつのまにか前の家のことを「緑の家」と呼ぶようになった。

 なぜ前の家が「みどりのおうち」になったのか。心当たりが唯一あるといえば、それは家の前にあった芝生スペースである。きれいな広場だった。芝生が広がり、いくつかの背の高い木が枝を伸ばし、5月になれば新緑があたりを覆った。高齢者たちのゲートボール場として用意された広場らしかったが、木曜の老人クラブのとき以外は無人で空いている時間のほうが長かった。だから近隣住民からは暗黙的に犬の散歩の休憩場所だとか、ちいさな子供の遊び場だとかに利用されていた。

 かくいうわが家も遥希が1歳の頃から、3歳の引越し直前まで、広場でよく虫取りをしていた。芝生には春先になるとジャノメチョウだとか、シジミチョウだとか、モンシロチョウが飛んだ。初めて虫取りをはじめた息子は、まだ捕まえかたもわからないそれらの蝶を見るや否や、夢中になって虫とり網をふりまわし走り出していた。とても微笑ましかった。

 緑の家での記憶を思い起こしてみる。休日に彼と積み木をして遊んだり、夏に近所の納涼祭でスーパーボール釣りをさせてみたり、いっしょに子供向けのテレビ番組をみて踊ったり。そういうとりとめのない思い出を浮かべて、「うん楽しかったねぇ」と答えると、遥希は満足したような顔をした。こんな夜中に緑の家のことを言いだすなんて、夢にでも出てきたのだろうか。息子の様子を観察してみるが、さすがに表情からは見た夢のことなど読みとれない。まあでも、きっと夢に出てきたのだろう。適当な当たりをつけて話をつづけてあげようと判断する。

「遥希は前のおうちが好き?」

「すき」

「なにが好きだった?」

「みどりのおうちでおかあさんとおとうさんとあそんだの」

「そうだね。遊んだね」

「あとちょうちょもとったの」

「うん、芝生のところでとったね」

「ケーキたべた」

「はは、誕生日のときかな」

「ううん、ホットケーキ、たべたの」

「それは今も朝、お母さんがつくってくれるだろう」

「うん……。それでね、おはなにおみずあげたの」

「おはな? 朝顔かな? おかあさんと育ててたやつ」

「うん、あさがおのおはな」

「よく覚えてるな」

「あとね……

 話をさせると次々、緑の家での思い出がでてくる。聞いていると、どうやら緑の家では弟がいなかったから、自分だけでお父さん、お母さんをひとりじめできていたのが良かったらしいことがわかる。なるほど、お兄ちゃんになって両親が弟にばかりつきっきりで世話をしていれば、たしかに寂しい気持ちも味わうだろうし、それで緑の家が懐かしくなったのかもしれない。

 4歳児のノスタルジーか。

 おもむろに頭をくしゃくしゃとなでてみる。遥希は何も反応せずされるがままになって、緑の家の思い出を語っている。

 しばらくしてふと「今のおうちは?」と遥希に尋ねてみる。「すき」とすぐに返ってくる。ほっとしている自分がいる。この年齢で、この眠い時間帯で、わざわざ嘘はつかないだろうから、きっと本当に好きなんだろう。今の家に問題はない。遥希だってそのうち今の家の方が好きなる。。前の家から引っ越したことを後悔したくない自分がいる。こういう感情、なるべくなら気づかないふりをしていたかった。

 ***

 この1年のあいだで引っ越しをして、新しく一戸建ての家を買った。

 新種の病原菌が世界中で流行り、その影響下のなか社会は後手後手に変化して、会社の仕事もオフィスへの長期缶詰出勤から突然のリモートワーク推奨となった。ドラスティックに変化するなぁと思うまもなく、今度はオフィスどころか正社員の立場もなくなって、業務委託社員の切り替えが推奨されるようになった。ていのいいリストラ準備だと社員間で噂もあがったが、社会保険付きかつ業務委託への補償手当付きで、実質、社員のときよりも待遇が手厚くなり、仕事の場所もやりかたも自由になるのもあって、みずからその立場を選ぶことにした。

 もともとがデスクワーカーだし、業務だってほとんど全てがオンライン上で管理されていたから、リモートワークで良いことすらあれ、そこまで悪く変わるものはないだろうと思った。業務委託に変わるタイミングで、同時に地方に小さめの中古一軒家を見つけ、そこをフルリノベーションして、田舎でマイホーム暮らしを始めることにした。

 地方に住みたいと言い出したのは妻だった。

「マスクを外しても誰も見てこない場所に住みましょう」

 当時、静かにそう言った彼女の目は、あきらかに私の顔から焦点を外していた。彼女の視点は私の顔の遥か奥にある、正体のわからない巨大なものを見つめていた。私は妻の顔を見て、彼女の見ているものが真夏の入道雲なのではないかと、ふと想像した。そういうぼんやりとした夢をみているような視線だった。

 リモートワークが始まるまでの1年半、私は会社に長期滞在を指示され、缶詰状態でほとんど家に帰れずにいた。そのあいだに、妻はワンオペ育児を余儀なくされ、それに追い込まれ、気が付けば精神的な均衡をすっかり失っていたのだった。

 地方暮らしを提案されたそのとき、私は妻の顔を見ながら、呑気にも「それはそうだよな」と考えていた。

 遥希がなんでも物を口に入れたり、イヤイヤ期でまったく言うことを聞かなかったりする期間、彼女は家にずっと一人でいて淡々と子育てと生活継続だけを遂行していたのだから。病原菌が流行ったせいで、外に出て気分転換に外食に行くだとか、子供のいる友人同士で遊ぶだとか、そういうことがほとんどまったくできなかったし、やったとしても見当違いの人間から「この緊急事態になにを考えているのか」と叱責を受ける可能性もあった。もちろん個人個人で事情もあるし、関係のない人間の叱責など無視すればいいだけの話ではあるのだが、妻の性格上、そういうわけにはいかないようだった。彼女はそういうのを逐一ちくいち気にしてあとまで引きずるタイプだった。

 だから彼女自身がつきつめて現状への対処を考えた結果、缶詰状態で家庭の業務を遂行するしかないと決めるのは、たしかにあり得る話だった。私が同じく職場で缶詰状態になったように。でも同じ缶詰といったって、私は会社に顔を突き合わせて文句を言い合える何人もの職場関係者がいた一方、彼女は集合住宅の一室にたった一人でこもっていた。 

 いや、正確にいえば、かたわらには最愛の息子、遥希がいた。

 それで私は油断をしていたのだ。ふたりいるなら大丈夫だろうと。でもその考えは、まったくもって大きな間違いだった。たしかにそこにはふたりの人間がいた。しかし片方は彼女が最上級に愛をそそぐ相手で、もう一方はその愛を当然のものと無限に貪る、まだ言葉もわからないほどの子供だったのだ。そうなのだ。だからこそ彼女は恐るべき孤独の深みにはまっていった。本人ですらきっと大丈夫、大丈夫と思いながら、いつのまにか決定的にボタンの掛け違いが起こっていた。精神は当人が見えない場所から蝕まれる。そして蝕まれだすと確実に、時間とともに着々と(死角の向こう側で)心は損なわれていく。

 私は従順に会社で缶詰仕事なんかしているべきではなかったのだ。

 地方に住もうと言ったときの妻の顔が、今でも私の脳裏にこびりついている。奥行きの合わない視点、ぼんやりと感情の断片が崩れ落ちていく最中のような、あの顔、あの表情……。首を縦にふる以外にはなにも考えつかなかった。

 家を建てた場所は、ずっと都市部で暮らしていた人間が選ぶには、かなりの田舎だった。会社の親しい同僚に引っ越し先を知らせると「〇〇さんってそういうタイプの人だったっけ?」と真顔で聞かれた。そうだよな、と思ってしまう自分がいた。住処に選んだ場所は本当に遠い田舎だったのだ。同じ都心の自然の多そうな別の駅に越すとか、同じ地区内で戸建てに移るとか、そういうレベルの引っ越しではない。地方移住とかいって今までの生活のすべてを意図的に捨て去るような、そういう距離感の引っ越しだった。実際のところ私は田舎暮らしを好むようなタイプでもないし、他人からしたら私への違和感が大きくなるのは自然なことだと思う。

 でも私が知るかぎり、妻だってもともとは郊外を望むような好みは持っていなかったはずなのだ。

「マスクを外しても誰も見てこない場所……

 妻の台詞せりふになにか意味が隠されている気がしてしまい、言葉が何度も反芻される。

 ***

……いまのおうちはトミカがいるから」

 遥希が喋る。

 はっと我にかえる。

「なんだっけ?」と問い返すと、「トミカがいるから、いまのおうちもすきなの」と遥希がいう。そうだった。今の家が好きかどうか、質問したんだった。

 トミカとは遥希が弟のことを呼ぶときのニックネームだ。両親が斗柑「とうか」、「とうか」と呼んでいるのを空耳で「トミカ」と間違えて覚えてしまったようだ。本来、トミカは車のおもちゃの名前だけれど、どうせ一時的な言い間違いだろうし、トミカでもまあ呼び名としてはいいかなと思い訂正はさせていない。

「今の家はトミカがいるからいいの?」と聞くと「うん」と遥希が答える。「トミカが好きか」と聞くと、やっぱり「うん」と答える。よくちょっかいを出して泣かせているけれど、遥希は新しくできた弟がかわいくて仕方がないらしい。まだまだ乳幼児をあつかうにしては不器用で乱暴で、危なっかしいことも多いけれど、なりに全身で斗柑をかわいがろうとしていることがわかる。「そうだな、今の家はトミカがいるもんな」私は遥希にいう。遥希はつづけて「うん、それとおかあさんがいるのと、おとうさんがいるの」と言う。

「そうだな、みんないる」

「みんないるの」

「遥希はみんなが好きなんだ」

「うん、でもおとうさんは……おこるからきらいだよ」

「えぇー、なんだよー」

 遥希がにやにやと笑う。冗談も言えるようになったのだ。成長したなと思う。

 喉の渇きがじゅうぶんに癒やされ眠くなったのか、笑いながら目をこすっている。子供だからすぐ熟睡するのだろう。寝室へ連れていく。今度は静かに自分の布団へ移動してころんと横になる。お気に入りのタオルケットを抱きしめると、すぐにスウスウと寝息が始まる。私は妻と次男をなんとか起こさず済んだと胸を撫でおろす。

 0歳児の次男はまだ夜泣きをする。深夜にそれへ対応している妻はここ数ヶ月まともに夜の睡眠を確保できず、すっかり参っている。でもその参りかたはとはまったく違う。なんというかあの時は、彼女の奥に背筋の冷えるような底のない穴が見えた。心を病んだ人間には穴があくのだとそのとき初めて知った。光すら届かない深い、深い穴が。

 自分も眠ろうと思ったが目がさえてしまい、うまく寝付くことができなかった。しばらく暗い天井を見つめてひとしきり何とはなく思考を巡らせる。

 昼間に聞いていたポッドキャストの内容を思い出す。その音声番組ではある哲学者がトークをしていた。番組中で彼はソクラテスについてひとしきり語ったあと、「言葉とは、物体と、音声と、言語を、それぞれ規則性に沿って対応させた人類史上、指折りの大発明なのです」と語った。なるほどと思った。物・音声・言語か。たしかに言葉を通すと、それらは別々のもののはずなのに、ひとつのものとして対応しあうようになるな。

 ――例えば、水が目の前にある。

 私はそれを「みず」と呼んだり、「水」という文字で表現したりする。物体としての水(つまり水素2つと酸素が結びついたもの)と、音声で現されたミズと聞こえる音の震え、そして文字で現される記号、それらのものはそれぞれ違う存在であるはずなのに、私の脳は経験上、勝手にそれらをひとつの水という概念でまとめている。――――

 不思議なものだ。そう考えると同時に、遥希がいう「みどりのおうち」も、言葉としてをひとつのものにまとめようとしているのではないかという考えに、ふと思い至った。私は単純に家の前の芝生スペースの色をもじって、緑の家と呼んでいるのだろうとばかり思っていたが、もしかしたら息子にとっては緑色、それ以上の意味が込められているのかもしれない。それは当時の楽しかった生活の記憶であり、両親から愛された質感であり、自分自身の記憶の始まりの場所としての情景であり……

 思い返せばキッチンの窓から見える緑が、とても美しい家だった。一種の絵画的眺望としての緑を生活風景にとりいれて、私も妻も遥希も、満足して暮らしていた。遥希自身はあの家で生まれ、およそ3歳までを育ち、みつごの魂ではないけれど、彼自身の魂の記憶として「みどりのおうち」という言葉をあてがったのではないだろうか。そう思うと、遥希の「みどりのおうち」は、並べた言葉の表面おもてづらだけでは如何いかんともしがたい体験や感情が緻密に織り込まれている、であるのかもしれないと思えてきた。

 同時にみどりのおうちがそうであると思えば思うほど、当時の妻にあいていた「穴」について考えないわけにはいかなかった。

 穴。それは私があてがった言葉だった。穴。

 彼女には(もちろん比喩として)穴があいていた。深く、向こう側の見えない暗い穴が。当時の彼女は肉体的な疲れかただけを見れば、今の夜泣きによる睡眠不足の状態と同じか、むしろ、それよりもいくぶん楽な状態に見えた。しかし決定的にその肉体からは何かが損なわれていた。不足というよりもほとんど、空っぽだった。当時だって妻は動いたし、考えたし、喋った。一見して生活動作もほとんど普段と変わりなかった。でも妻に本来そなわるべきものは彼女から次々とこぼれ出してしまっているのだった。こぼれだしたものは深い闇へ落ちていき、どうやらもとのところへは戻ってこないようだった。物理的にも比喩的にもその消失は起こっていた。妻の顔面の奇妙さがその現象をたしかなものにした。

 彼女にぽっかりとあいた空洞について。そこから流れでていたものについて。それら見えないものに対して、「穴」という言葉で自分がなにをあてがおうとしていたのかについて。ひとしきり想像を巡らせた。これは夜中の自分にとって、必要命題なのだとなぜか強く感じた。これを解らなければ朝はもうこないのではないかとすら思った。

 あのとき、いったい妻からなにが消えていったのか。私はそれを知るべきなのかもしれない。長い時間がかかったとしても。漠然とそうすべきだという使命感にとらわれた。だからこそ、あのときの私には妻にあいた穴がえたのかもしれない。私は何度も当時を想像するうち、彼女にあいた穴をはっきりと頭のなかに描けるようになっていた。妻の、彼女の顔がある。彼女は私のほうを向き、しかし焦点の外れた目によって私ではなく、どこか遠い夏空の雲を見ている。口もとの口角はややもすれば微笑ともとれるくらい、僅かに上がっている。喜びと苦しみと怒りと悲しみといろいろな感情の加減乗除の末に穏やかにならされたような、起伏のない感情が彼女をほのかに揺らしている。それはまるで木星の大気における激流の狭間はざまで、奇跡的な無風地帯を見つけた蝋燭ろうそくの火のような揺らぎである。そしてその静かでなだらかな表情の描写と矛盾せず、彼女の顔面には真っ黒な穴が開いている。顔を丸々呑み込むほどの穴が。顔にあいた穴であるのに、その穴の向こう側を見ることはできない。穴はどこまでも深く、暗いのだ。

 いったいなにがそこに落ちていっているんだろう。妻のなにが。彼女から抜け落ちて、そんなに深い場所に消えていくものの正体を知りたくて、私は思わず、彼女の顔へ触れようとする。顔面に奇妙にあいた穴に手を伸ばす。もしかしたら、自分も妻の穴に吸い込まれ、落ちていってしまうかもしれないという恐怖が芽生える。そうすればもう戻ることはできないのだ。しかし私はどうしてもその穴中に入らなくてはいけない気がする。そして妻から今、消失せんとするの正体をこの目に捉えて、白日のもとに晒さなければ……

 目が覚める。

 三人の静かな寝息が聞こえる。

 いつのまにかまどろんでいたのだ。

 どれくらい眠ったのだろう。今度はひとりで静かに寝室を抜け出る。トイレにいってから暗いキッチンに戻り、コップに一杯だけ水を注いで飲む。カーテンの隙間がうっすらと白み始めていることに気がつく。時計を見る。5時半をまわったところだった。朝がきたのだ。

 月曜日。出勤はない。今、私は在宅ワーカーだから。所定の時間になったら会社のチャットシステムにログインをして朝礼が始まる。始業は9時半、あと4時間か。といっても現在、あくまで始業時間は目安である。在宅ワークに切り替わってから朝礼は各自がタイムラインに文面を書きつけるだけの作業になったし、打ち合わせに多少、遅れてもすべての業務にはだいたいログが残っているようになった。在宅ワークが推進されたおかげで、どんな人の家庭にも家事や育児、介護など、予想のつかない業務が多数存在することは自明となった。おかげで不必要なまでに時間を厳守させることはほとんどなくなったと言っていい。前提として家庭のリズムを損なわないよう、仕事は割り当てられ進められていく。仕事と家庭が限りなく一体になった生活。

 リビングの窓へ行きカーテンを開ける。窓の向こうには広い庭がある。そこにはこんもりと葉が茂り、丸くふくらんだ大きな木が一本生えている。その先には林がつづき、森へ。さらに向こうにはたっぷりとした山々が見える。溢れるほどの緑だ。本当に自然が豊かで、ずいぶんな田舎に住んでいるのだなぁと景色を見るたびに思う。ある種の嗜好をもつ人々からすれば、たしかにいい生活だと思う。自然に包まれて暮らしたい。しずかな場所で暮らしたい。自分のペースで暮らしたい。10年前の自分が今の自分の暮らしや仕事のしかたを見たら驚き、もしかすると羨ましがるかもしれない。一見してこの家での暮らしは、たしかに豊かなライフスタイルに見える。

 ふと遥希が今の家を呼ぶとしたらなんの家になるのだろうと考える。今の家のほうが、どちらかといえば緑が溢れている。だからこの家もみどりのおうちになるのだろうか。それとも前の家があまり緑と関係ないように、この家も彼からぜんぜん別の命名を受けるのだろうか。おそらく後者だろう。緑の家のことを遥希は遥希なりに、かなり愛着もって気に入っているみたいだから。きっとこの家にはまた別の、遥希の見つけたなにかの言葉があてがわれるのだ。

 山の峰から朝日がうっすらと顔をのぞかせようとしている。さすがにもう二度寝をする気にはならない。コーヒーでも淹れて飲もうか。それとも……

「サラダ用にブロッコリーでも茹でるか」

 昨日のケンタッキー・フライドチキンを挽回するわけではないけれど、なんとなく息子の好物の野菜でも用意してあげようという気になって、大きな鍋へ水をいれて火にかけ、私は冷蔵庫の野菜室から大きなブロッコリーを取り出してキッチンへ置く。ステンレスのカウンターに置かれたその妙にこんもりと繁る緑色の野菜が、まるで美術館の彫刻作品みたいに見えてきて、私はつい腕をくんでしげしげと眺めてしまう。よくよく見ると庭の木にもかたちが似ている気がする。もしかしたら次はブロッコリーの家かもしれない……

 寝室から次男が泣いて起きる声が聞こえた。

(了)