ヤイロチョウの棲む森遙夏しま2021・01
四国の深い森にヤイロチョウという鳥がいる。八つの色と書いてヤイロ。色の多彩さを名で示す生き物はたいてい美しい姿をしているがヤイロチョウもしかり。羽は翡翠のように光沢し、羽元から羽先に向けて明青色から沈みがかった青を経て、黒色へ段階的に色彩を変える。碧い羽とは対照的に頭頂と下腹は朱色めいた赤。目には黒く線が伸びて、それが胸部の黄褐色を実際よりも明るく優美に見せる。
本来、彼らは熱帯に生息する。インドネシアだとかマレーシアだとかにある背の高い広葉樹がしげる森に棲む。高木の枝葉がしげる森の上面からうってかわり、光の届かない薄暗い地面ちかく。下生えのない、耐陰性の植物がぽつりぽつりと生えている空間。そこはジャングルの上空から目を凝らす猛禽に見つからず、かといって飛びまわるのに邪魔となる枝々もない。生きるのにうってつけの場所だ。人の背丈程度の限られた空間を飛び交いながら、彼らは落ち葉の下のミミズやケラなんかをついばんで生活している。
女ふたりで連休を利用して高知の森にきている。知り合いにネイチャーガイドをお願いし森の中を移動する。ガイドは来年で古希になるおじいさんだ。おじいさんといっても森の深い田舎に住む人の典型で足腰がやたらと強く、七十を前にしたとは思えないほど若々しい。闊達明瞭。健康的なしわは深く、肌は黒く焼けている。その肌の黒は街中の日焼けサロンだとか、香水臭いマリンビーチだとかで打算的に焼いたものとはまったくちがう。木漏れ日と広葉樹の落ち葉の渋と、そういったものたちによって長い年月かけて染め上げられたような必然的ともいっていい黒をしている。
五年くらい前、東京の息子夫婦を訪ねてきた彼とたまたま都内の立ち飲み屋で酔っ払い同士として知り合った。本当にたまたま近くにいて、何かの拍子に会話をかわし、そのまま世間話しただけだ。高知に住んでいる話を聞いて、林業組合の話を聞いて、そのあとヤイロチョウの話題が出て、すっかり意気投合した。
高校生のときにテレビや図鑑で偶然知って、なんとなくずっと好きなのだと彼に伝えると、近所の森に生息していると自慢げに言われた。思わず「その森に行ってみたい」と言った。なら友達か彼氏でもつれて連休にでも見に来たら良いと言われ、その気になって携帯の番号まで交換していた。でもまさか五年も経ってから、突然、連絡をよこしてくるとは思ってなかっただろう。
五年のあいだに私は勤めていた広告制作会社を辞めて、バーテンダーとカフェと本屋の店員と近所のスーパーのレジ打ちとウェブマガジンの編集仕事を次々とやっては辞め、そして編集者をやっているとき、副業としてはじめた挿絵イラストに、奇跡的にまとまった額をくれる受注先ができてフリーになったうえ、依頼主である女性社長に同性愛的片想いをしてしまい、それがバレると、なんと彼女自身も同じ気持ちであるとカミングアウトされ、人生で初めて同性カップルとしてのお付き合いを成功させた。
彼女は占いと美容をメインにビジネスをする小さな会社の社長で、イラストの仕事は私情が入らないようにと減らされてしまったが、来年までには一緒に住もうということになっている。順風満帆。個人的に人生で今が一番アガッている。
それで彼女とテレビを観ているときにヤイロチョウが映って、「そういえば……」と五年前の話をしていたら、本当に見に行きたくなってきて彼女を旅行に誘った。こころよく承諾してくれた。初めての旅行であることと、美しい鳥を見に行くだけが旅のテーマであることが気に入ったようだった。互いの気持ちとしても深い森に行くことになんとなく安心感があったと思う。私たちはカップルなのだから。スケジュールを調整した結果、連休を意図したわけではないが、大型連休の後半四日を旅行にあてることができた。
そして今、森を歩いている。ヤイロチョウを見るために森にきてから今日で三日目。私たちの旅は三泊四日なので明日の昼には高知を出なくてはいけない。息を切らしながら「ほんとうに見られないものなんですね」と私がいうとガイドのおじいさんが「うーん、そうだなぁ」といって苦笑した。事前の電話でヤイロチョウは隠れるのがうまいので、なかなか簡単にお目にかかれるものではないと言われてはいたが、まさかここまで見られないとは思ってもみなかった。
ヤイロチョウはあんなに色彩に溢れているのに、あの色合いこそ森の景観に紛れるにはうってつけのカラーリングなのだ。現地で言われたらすぐにわかったが、地面、葉っぱ、照り返し、木、枯れ草など、たしかに森はヤイロチョウのもつ色合いの複雑な組み合わせでできていた。悠長に美しいと感動していたが、まさか裏にこんな自然のカラクリがあったとは。知らなかった。
ヤイロチョウは警戒心がとても強く、人の気配がするとすぐに隠れてしまうし、何しろ遭遇するための絶対数が少ない。三泊四日でまったく姿を見られないことがあっても、別に驚くほどのことではないのだとおじいさんはいった。電話口でも繰り返された台詞だったが、電話で聞いたときより、その言葉には現実味が宿っていた。
「いるときはすぐいるんだけどねぇ」
おじいさんが話をつづける。
「野生の鳥ってそういうものでね。なんでもないときには二羽も、三羽も出会うんだけど。こちらが会いたいとなると途端に出てこなくなったりするんだよ。もちろんその逆もある。まあ運っていっちゃえば、そういうことなのかもしれないけれど。向こうもこちらの様子を伺っているのかもしれないよね。三日ももう森にいるし、そろそろ慣れてきて、もう少ししたらひょっこり現れるかもしれない」
息ひとつ乱さずにおじいさんはあたりを見回す。私たちのために進みやすい道を探してくれているのだ。車を乗り付けた集合場所から歩いて二時間。私たちは今、深い森の中枢にいる。
私は自分に言い聞かせるつもりで返事をする。
「そうですよね。野生ですものね。しかも貴重な」
「うん。貴重なんだよ。このへんの人でも、声しか聞いたことのない人もいるくらいだから」
「えぇ……」
思わずため息がもれそうになる。それは三泊四日どころか、十泊も二十泊もしたって見られない可能性があるってことではないのか。そんなになのか。私が借りた自然ドキュメントのDVDには、あんなにアップでヤイロチョウが映っていたのに。
私の落ち込みを見かねたのか、隣にいる彼女が気を利かせたコメントをする。
「でもこんなに山のなかにいるのって久しぶり。静かだけど木の葉がさざめいてて、空気もきれいで。ヤイロチョウじゃないけどかわいらしい野鳥もいるし、すごくリフレッシュになりますね」
「いやはや、そういってくれると救われるよ」とおじいさんは笑い、「ヤイロチョウだけじゃなくてね、あちこち見かけるコゲラやシジュウカラ、カケスだとか特段めずらしくない鳥たちだって、やっぱり生態系という意味では大切で、あらめて見ると美しいものでね……」など森の野鳥のアレコレについて語りだした。
私はそれを半分、放心しながら聞いていた。あちこち筋肉痛で、正直、帰りのルートを歩くのすら気がのらなかった。どうせ出会えないヤイロチョウのためにあと二時間も歩けるのか。そちらの方が気がかりになってしまった。
初日こそ、地の産物や田舎のくたびれた民宿や、そういうのが珍しくて盛り上がったが、二日目、三日目とその高揚感もなくなって、かわりに一日中、森を歩き回る疲労感ばかりがからだに蓄積されていくのがありありとわかった。この三日間、おじいさんが観察ポイントとしてピックアップしてくれた餌場をめぐっては、何もいない森の地面をじっと見つめるのを、ただ繰り返していた。
ヤイロチョウの鳴き声だけが時折、いじわるのように森の彼方から聞こえてきた。指笛を吹くような「ホーイー、ホーイー」というさえずり。それを聞きながら「近くにはいるんだけどねぇ」というおじいさんのつぶやきに私たちは微笑みを返しつづけ、ただそれだけが繰り返された。
「さて、そろそろ引き返しますよ。戻って、いったんお昼にしようね。また帰りの道でも会えるかもしれない」
おじいさんがにこやかに笑う。朝七時半から歩き始めて、現在、十時。そしてこれから引き返して、車まで二時間歩く。休憩を挟んでいるとはいえ、歩きっぱなしで疲れひとつ見せていない。同じ人間でこうも違うものなのか。私と彼女は引きつりそうな口角を必死に微笑みにとどめて「はーい」と、なるべく平和そうに返事をする。
「ごめんね、なんか」と私は彼女に小声で謝った。彼女は「ううん」とだけ返した。表情をみるとほんとうに嫌ではないようだったが、よく見ればやはり彼女も息を切らしていた。おじいさんに疲れているのが伝わらないように、平気なフリをしているみたいだった。初対面だし気を遣っているのだろう。そんな必要はないのにと思いつつも、気遣いをするような旅行にきてしまったことを悪く思った。私はさらに小さい声で彼女に「ごめん」といった。しかしその声は彼女に聞こえていないようだった。
二時間かけて山を降りたあと、結局、私の体力が先に尽きた。おじいさんに教えてもらった蕎麦屋さんで、三日目の昼食をとっている途中、「あきらめて午後は温泉へはいりに行こう」と彼女に提案した。彼女は「はは、待ってました」と笑った。
家内が食事を作っているからと、いったん帰宅したおじいさんに電話をする。おじいさんは夕方の観察場所を練ってくれていたところだったようで、午後の予定についていろいろと言われた。途中で「申し訳ないんだけど」と切り出すと、なんとなくこういうことは予想してくれていたようで「懲りずにまた来てよ」と言ってくれた。ついでに近場の温泉をおしえてもらい、そこに行くことにした。
昼食をすませてレンタカーに乗り込む去り際、おじいさんが見送りにやって来た。「いやあ、残念だったね」とか「美女ふたりに囲まれて自分だけ得しちゃったな」とか、「次はもっといい場所を見つけておくから」だとか、おじいさんは私たちに有り体なセリフをひととおり言い並べた。そして「お友達も申し訳なかったですね」と彼女に笑いかけた。
私たちはふふふと卒なく微笑んだ。おじいさんは何ごともなく「今度は鮎でも用意して炭火焼でもしようかね」と言った。「いいですね!」と私がくいつくと「高齢者ばかりだけど、嫌じゃなきゃ地元の猟友会の友人たちも誘うよ」と嬉しそうにしていた。彼女も「私もぜひまたお邪魔させてください」と笑顔を見せた。
和やかな旅の別れだった。
あらためてレンタカーに乗り込む。私だったら値段の関係で絶対に選ばないであろうハイブリッドの四輪駆動車。彼女が「旅のムードに合いそうだから」と借りた、ふたりには少々、大きすぎるくらいの車だ。運転は私がする。エンジンをかけ、温泉までカーナビをセットし、窓を開けて、おじいさんに手を振る。ゆっくりと車道に出る。軽自動車とは違う、安定したタイヤ運び。高い視線。道路を走る。あっというまにおじいさんは見えなくなる。
しばらく走って、私と彼女がほぼ同時にいう。
「お友達だって」
そしてはははと笑う。「そうだよねぇ」と互いに笑う。そうだよ、その通りだよ。そうにしか見えないよ。まさかこのお友達の女ふたりが毎日夜ごと、民宿でしっぽり性交して旅情に浸っていたなんて、あのおじいさんが思うわけないよ。
彼女がいう「ねえ私たちがヤイロチョウみたいだね」と。少し考えて「そうかもしれない」と私は答える。東京から高知くんだりまで渡ってきて、私たちはうまく紛れ込んだのだ。四国の深い森で、人の目に隠れた。そして形だけとはいえ繁殖行為をおこなって過ごし、ふたたび東京に渡る。それはまるでヤイロチョウだ。
「ヤイロチョウが姿を現さなかったのはさ」彼女がつづける。
「きっと私たちのことに気づいていたからじゃないかな」
私はそれを聞いて少しだけ悲しくなる。そしてその感情が何に向けられたものなのか把握するのに、ほんの僅かに時間がかかり無言になる。彼女はそういう私をただそこに置いておいてくれる。きっとありがたいことなのだと思う。一拍おいて、私は彼女に返答する。
「伝わるのかもね。同じ穴の狢同士で」
「うん。そしてきっと、野生の彼らからすれば、私たちの隠れかたは見ていられないほど下手だった」
「ありえる」
「おじいさんには十分だったけど」と私が付け足すと、堪えきれずふたりでまた笑った。「ねえまた渡りをしようよ」と彼女がいうので、あんなに歩いて嫌じゃなかったのかと私は尋ねる。彼女はそれには答えずに「私もヤイロチョウのこと、もう少し調べておくから」と言い、しばらくおいて「あと筋トレかしら」と付け足す。私たちは笑う。次の温泉への期待を乗せて。旅の趣きを感じつつ。
道路からこの三日間、散策しつづけた山が見える。車の窓を開けて彼女は山をじっと見つめる。私も横目に山を見る。そしてその山の深くにいるヤイロチョウのことを考える。その美しい色彩と、指笛のようなさえずりと、そして彼らが飛び交う薄暗く安穏とした森を。