キキョウ|8,334文字

キキョウ遙夏しま2021・01

 畦道あぜみちを歩いていた。

 夕暮れの夏雲が空に浮かんでいる。

 一面の田んぼ。

 田園の先で杉林が一刻、一刻、影を濃くしている。

 強い赤みを帯びた夕焼け。

 土手には桔梗ききょうが咲いていた。

 そのとき僕は桔梗の名前を知らなかった。清々しくやけにきれいなその花が自生であるとは思わず、これは誰が植えたのだろうと、心のうちでひとりごとを言った。凛とした佇まいに対して妙に妖艶な色合い。花弁が夕焼けで怪しく染まっている。

 シオカラトンボが道の先を羽ばたく。

 ヒグラシのかなかなが聞こえる。

 げっげっげっげと殿様蛙とのさまがえるが鳴く。

 ――――――

 叱られて、謝りかたがわからず、いつまでも帰れない。

 ずいぶん古い記憶だと思う。あれはいつだっけ。

 ――――――

   *

 信号が赤から青に変わる。慣れない小型車のアクセルを踏む。

   *

 学生時代に都会だと思い込んでいた、さほど栄えていない駅を降りる。レンタカーを借りて走りだし一時間。広い国道を中心に開発された街並みが、二車線道路の減少とともに、ふと野山の緑に変わる。田園がつづくとなんとなく窓を開けてしまう。草刈りをしたあとのような夏草の匂いがする。その懐かしさと気持ち良さが、かえって自分の居場所のなさを際立たせる。

 まっすぐ帰るのもおもしろくなくて、だからといって東京のように気分で寄り道できる店を選べるわけでもない。選択肢はほとんど数件に限られてくる。やけに繁盛しているパチンコ屋で時間をつぶすか、しょっぱくて脂っぽいラーメン屋で遅い昼食をとるか、小さな本屋で立ち読みするか、あとはここ最近できたらしいベーカリーへいってみるか。

「どれも微妙だな……

 悩んでいればどんどん道は進む。田園を抜けると杉林が増えだす。このまま進めば道はいよいよ狭くなる。土手の下に小さな沢が流れるようになる。沢にはカニがいる。水草の根元や石の裏を探すと捕まえることができる。子供時代にさんざんカニ採りをした。

 曼珠沙華まんじゅしゃげの真っ赤な花がちらほら目に入る。

 道脇に自動販売機を見つけて、しかたなく車をとめる。時間つぶしのつもりで缶コーヒーを買ったが、コーヒーを買うなら、ベーカリーでパンを買うのもいいだろうと思いつく。いき先がきまった。

   *

――――――

 いく先もわからず畦道を進む。

 だんだんと日が暮れて、あたりが暗くなる。

 北東の空にちいさく光る星を見つける。

「自分はあの家の子供じゃないんだ」と、わかりやすく不貞腐ふてくされている。「僕は捨て子で、いらないから追い出されるんだ」、「本当の家がこのへんにあるのかもしれない」、「そこには本当のお母さんとお父さんがいる。兄弟もいるかもしれない。本当のおうちでは朝からホットケーキが出てくる」そのようなことを考えて自分を慰めている。

 本当は逆なのだ。どう望んでも、どうあがいても、どこまでいっても、あの家の子供にしかなれやしない。そっちを悩むべきだったのに。

――――――

  *

 母が電話口でいっていたセリフをたよりにベーカリーを探す。実家へむかう道とは逆へ曲がり、県道に進む。地元で教員をやっている友人の実家方面へむかい。小さな山をひとつ超える。坂道をくだりだすところで左折。ベーカリーの目印になる看板が立っていた。杉林の砂利道を進むと先が急にひらけている。

 そこに民家をリフォームしたらしい感じの良い店がある。

……あった」

 店の前に手作りの小さな立て看板が立っていた。看板には「深山みやまの風 ベーカリーカフェ」と書かれている。昨今、よく見かけるようなテイストの店舗。木造民家をリノベーションしたんだろう。大きなガラス張り。明るい店内が見通せる。ところどころ店主が自作していそうな木工家具。たしかに母が好きそうだ。

「いらっしゃいませ」

 愛想のよい女性店員が数人で切り盛りしている。店は田舎にしては繁盛しているようで、カフェの席はほとんど埋まっていた。楽しそうな中高年女性グループの世間話。まあ、主要顧客はそうなるよなと思い、イートインをあきらめる。ベーカリースペースでパンをいくつか選び、カウンターで支払いをしようとすると、目の前の店員から声をかけられた。

「もしかして千葉……くん?」

小湊こみなと?」

 目の前にいるのは小湊 奈緒子こみなと なおこだった。中学時代の同級生である。ベーカリー店の制服がよく似合っている。ほっそりとした体型に小柄な背。長い髪。はっきりとした目鼻立ちに、はきはきとした明朗な表情。中学時代から変わらない美しい姿。しかし口元の豊麗線ほうれいせんと目尻のしわが、十代から確実に積み上げられた彼女の時間を語る。

「うわ懐かしいね! どうしたの? 帰省? 夏休み? 早くない?」

 知り合いとわかるや否や、急に声が大きくなる地元の友人にも、わずらわしさを感じなくなっている自分がいる。若いときはこういうのが田舎臭くて何となく違和感だったが、今や、かえって嬉しいくらいになった。

 東京でいつまで暮らせど、自分もすっかり田舎者として歳をとっているのだと考える。田舎の中年だ。白髪も増えた。しわだって他人ひとのことをいえないくらいたくさんある。

「法事だよ、法事。親父が死んでさ」

「やだ! そうなの。ごめんね。この度は……

「いい、いい。堅苦しいのは。もう一周忌だよ。病気だったんだよ」

「癌?」

「そう」

「何歳? だって若いんじゃない?」

「若くないよ。八十超えたもん。そんなものだよ。親族みんな、お父さん、ご苦労さまでしたって感じだったよ」

   *

 一年前、父親が死んだ。大腸癌が見つかったときから余命を宣告されていたが、しかし彼は医者のいう年数をはるかに超えて生きた。初期の手術と放射線治療が効いたのだと思う。

 最初の治療を終えてから、心臓の大動脈瘤が破裂してあっさりと亡くなるまで、彼はかなり穏やかな生活を送った。医者も寛解するかもしれないと笑顔で言っていたくらいだった。一時期は自分も含めて、親族の誰もがうっかり父の癌を忘れてしまうくらいだった。

   *

「しばらくこっちにいるの?」小湊が質問する。

「日曜に帰るから数日いるね」

「そっか。千葉は今、何してるの?」

「都内のウェブ関係の会社で働いてるよ。といっても編集仕事であんまりコンピューターに強いわけじゃないけど」

「へぇー編集仕事。かっこいいねぇ」

「つまんない仕事だよ。それよりいいベーカリーだね。働いてるの?」

「ふふふ、なんと脱サラしてオーナーよ」

「えぇ、すごいなぁ! 思い切ったねぇ」

「まあね。介護職やってたんだけどね。ずっとパン作りが好きでやってたのよ。知り合いのつてで、この民家を紹介してもらったときピンときてね。三年目で頑張りどころって感じよ」

「へえ、家族は? 応援してくれてるの?」

「とっくの昔に離婚しちゃったわよ! 子供もいないし」

「そうなのか」

「身軽が一番!」と彼女は快活に笑う。あまり大きくない身長で、その細い体で。たくましいものだなと思う。こちらは実家に帰るのもなんとなく億劫で、こうして寄り道しているっていうのに。

   *

「ねえ千葉ってさ。中一の頃、私と背比べしてたよね?」

 小湊がにやにやしながら僕の顔を覗き込む。

「そうかも。入学したくらいな。してたかも」

「ね、どっちが高いかやってたよね。笑えるよねぇ」

「直後に俺が二十センチくらい伸びたからな。即中止になったよな。背比べ」

 今や頭ひとつ分ちがう身長。ふたりでくすくすと笑う。

「私さぁ、いつの日か千葉のほうが大きくなっちゃうんだろうなぁって、ちょっとしんみりしながら背比べやってたんだよ。千葉は男の子だし。私はもう伸びないだろうしって。でもあまりにすぐその日がきてさ。拍子抜けした」

「夏休み終わったら別人だったろ?」

「本当、別人で最初、誰かわからなかったよ!」

「脇毛も生えたしな」

「ちょっと、やめてよ」

 小湊がけたけたと笑う。笑いすぎてせきこみ「ごめんごめん、懐かしくて笑いすぎた」といって涙ぐんだ目尻をふく。「足止めしちゃったね。テイクアウトでいいんだよね」といって彼女はパンを袋に詰める。少し間が空いたので「うちの母がこの店、気に入ってるらしくて、妹とよくいくみたいだよ」と伝える。

「ウソ? 嬉しい。これ、じゃあおまけ」

 そういって小湊はカウンターにあるラスクを袋に追加する。「悪いね。ありがたくいただくよ」と伝えると「うちコーヒーも美味しいんだけど、それもつけようか」といわれる。すでに缶コーヒーを買った旨を伝えると、小湊は少しだけ寂しそうな顔をした。「また来てよ。次は店内でゆっくりしていって」彼女はいった。礼をいって店を出る。

 クーラーのきいた店内からうってかわり、むっとした暑気が体にまとわりついた。

   *

――――――

 夜がきて蛍舞う畦道。

 月の輪郭は薄張り硝子の淵を思わせる。

 時折、そよ風がさわさわと稲を揺らす。

 遠くの外灯。

 雨の予感。

 その声が聞こえたのには、たぶん理由がある。。子供は思い込みで、この世に存在しないものや、道理の合わないことを実現させてしまう。いわゆる自己暗示だ。怒られて感傷的になりすぎていたし、夜にひとりで外にいる恐怖心もあった。

「帰り道がわからないの?」

 小さな子供の声が聞こえた。

 自分より少し年上の子だろうか。男の子? 女の子? 高い声だ。わからなかった。自分のまわりの誰もが声変わりなどしていない。とにかくやさしくて、落ち着いた声。

 声は草むらから聞こえる。しかし草丈はどう考えても膝くらいまでしかない。人が隠れるにはあまりに短い。

 入ってみようか。

 いやしかし草むらにはまむしがいる。お父さんから危ないから夜に足をいれるなときつく言われている。だから僕は草むらに入るのを躊躇ためらった。

 自分を叱った父の姿を思い出す。低い声でそんなら出ていけと言う父の姿。固く重いこぶしで自分を痛めつける瞬間。目を瞑る自分。

 何をしたんだっけ? 妹をいじめたんだっけな。覚えてない。

「だいじょうぶ?」

 声は僕を心配しつづけている。小さなかぼそい、やさしい声。

 夏草の先に蛍がとまる。

――――――

   *

 テイクアウトしても食べる場所がなくて、なんとなく近所の畦道までくる。車を降りると、強い西日によってむんわりと地面から暑さが上がってくる。すぐに汗が出はじめてシャツを濡らす。

 ぬるくなってきた缶コーヒーを飲みながら、ベーカリーで買ったたまごサンドをほおばり歩く。田舎の畦道ではあるが、今となっては舗装され、いくつも外灯がつき、遠くには街並みも見える。休耕田もふえている。そこにはセイタカアワダチソウがはえ、したり顔で田園を埋め尽くしている。

 桔梗は生えていない。今や絶滅危惧種らしい。

 変わらない、変わらないと思っていたはずのものが、すっかり変わっている。変わらないのはかたちを変えつづける空の雲くらいだろうか。

 

「いつまでも帰れなくて、声が聞こえて……

 あのあと、どうしたんだっけ。やはり思い出せない。

   *

 カウンセラーの美園みその先生は「心はこぼれ落ちるんだよ」と言った。

 一個の塊として動きつづける肉体とちがって、心はゼリーのようなもので何かの拍子にぼろぼろと砕けてこぼれ落ちる。人は心と体が一体になった生き物だからふだんは錯覚しているけれど、実際はいろいろな生活場面で、心の一部が崩れ落ちて、そのままになっている。

「残された心は君を呼ぶんだ」

「ロマンチックだろう」といって先生は紅茶に口をつける。

「君の今の心の状態を見ていると、こぼれ落ちた心がまだ生きてるんだね。そのよく見るっていう幼少期の畦道の夢を聞くかぎり」

「僕の心が畦道にこぼれ落ちている?」

「うん。そうそう。心がこぼれ落ちて、今も畦道から、記憶としてよみがえって君を呼んでいるんだろうね」

「記憶が呼んでいる……ですか」

「もちろん、たとえ話だよ。心の構造をわかりやすくしてるんだ」

「比喩はあまり好きじゃないかな?」美園先生は笑う。好き嫌いというより、単純にうまく頭に入ってこないんだとは言えず、僕は「いえ」とだけ答える。美園先生はつづける。

「沖縄ではマブイっていう概念があるんだけど。知っているかな? わかりやすく言えばだね。悪いことをしたり、転んだりすると、マブイが落ちる。マブイが落ちると心に隙間ができて、その隙間をねらって悪いものが自分をのっとりにくるんだ。だからマブイを落としたと思ったら、その場でマブイを拾いあげる仕草をし、そしてしばらくお祈りをする」

「おまじないみたいなものでしょうか?」

「そのとおり。おまじないだね。でもあながち間違いでもない。さっきも言ったとおり、実際、心理的にインパクトのある出来事が起こると、心の一部がその場に崩れ落ちてしまうんだ。比喩的な意味でだよ? トラウマってやつだ。脳が処理したくないっていうんで、一旦、記憶をその時点でとめておくんだね。脳のメモリが一部、停止した記憶にあてがわれたままになる。つまり心が一部、停止して減る。マブイが落ちてなくなるのとよく似ている」

「はあなるほど」と僕はいう。「でもね」と美園先生はいう。

「でも体は移動を続けるだろう? まさか脳が処理したくなるまで、ずっとその場にいるわけにもいかない」

「たしかに」

「だいたいの心は落としても、しばらくすれば自分とは関係なくなる。つまり忘れて、それ以降、思い出されない。でも。だからマブイが、心が落ちたと思ったら、その場で拾いあげて抱きとめてやる。その場で心を整理して、もとの体にもどしてやる。ね、考えようによっちゃ合理的だろう?」

……そうかもしれない」

「紅茶のおかわりはいかがかな?」と先生が勧める。僕は遠慮なくおかわりをもらうことにする。お茶請けはちんすこうだ。だから沖縄の例え話なんかでてきたのだろう。

   *

 美園先生の心の話を思い出す。

 たしかに記憶の中で僕はずっと畦道にいるような気がする。いつまでも帰れなくて、夜の畦道を歩いている。小さな声が自分を心配している。怖い父親が家にいる。ずっといる。、ずっと考えている。叱られても謝る方法がわからないのだ。

   *

 父が死んだとき、誰もが涙するなか僕と母は泣きもしなかった。余命宣告されて予期していたからだろうか。「気丈なのね」と親戚に言われたが、そうじゃない。自分でも不思議なほど悲しくならなかった。それが正しい。

 葬儀の最中、ありていな父との記憶が何場面か思い出され、焼香の煙とともにそれらは消えていった。父は焼かれ、骨は壺に納まり、墓石の下に並べられた。「私もここに入るのねぇ」と母が無表情で言った。どう答えていいかわからず「いつかはね。俺も妹も、妹の子供も、いつかみんな入るんだよ」と返した。母はうんとだけ答えた。

 葬儀中、あまりに悲しまなかった自分を省みて、父のことを嫌っていたのだろうかと考えた。しかしそんなことはなかった。叱られたのは遠い昔のことだし、子供の時分の話だ。それに彼が死ぬまで僕はマメに実家へ帰り、父とよく話をしたと思う。いわゆる家庭内のいざこざみたいなことは、僕と父の関係においては特段、存在しなかった。

 畦道の記憶など、もはや気にするほどのこともない。だからこそかえって、何度も繰り返されるあの畦道をどう解釈していいかわからず、それはずっと頭にこびりついていた。

 仕事中、時々、激しい動悸にみまわれ、作業が手につかないようになり、カウンセラーに通い出したのは七年前だ。(父は当然、その頃、まだ生きていた。)

 動悸が起こる直前、僕はかならず畦道の夢をみた。白昼夢のように畦道で聞いた声が頭を巡ることもあった。症状がいちばん酷かったときは、白昼夢が日に何度も起こり、会社で人の話など聞いている場合ではなかった。

 僕は診断書を人事部に提出して、ひと月ほど会社を休ませてもらった。昇給だとかキャリアアップだとか、そういった話をされたが、そんな諸々の損失を考える余裕もなかった。

 今でこそ症状は落ち着いているが、それでも月に一回、美園先生のもとへカウンセリングを受けに行っている。

 経営執行本部付の企画営業部だった僕は、南関東周辺のお花見だとかラーメン特集だとか、そういったローカル観光情報をあつかう小さなメディア事業部に異動が決まり、今もそこで編集仕事をしている。

    *

 実家に帰ってすぐ、墓の掃除をしにいく。母にそれを伝えると「お願い」といって彼女は裏の畑へ出ていった。七十八歳。元気で若いとは年齢に対して使われる台詞だ。本人も十分にわかっている。

「心ってのはね、直すものじゃないよ。抱きとめて、付き合っていくものだ」

 いつも美園先生に言われる。

 でも会社でずっと仕事をして生きてきた人間には、ものごとを解決しないで生きていく態度が理解できない。頭ではわかっている。関連する書籍も何冊も読んだ。でも価値観がしっくり馴染んでいかない。例えば崖から落ちて右手か左手か。必ず左手を出せば助かるとしても、咄嗟に出すのは利き手の右になってしまう。崖から転がり落ちる最中、内省する。「そうだ左だった」。転落。

 原因があって過程があって結果がある。因果応報。そういう世界で生きてきた頭は、ややもすると夢の解釈に走り、その意味を問いただそうと躍起になる。

 結果があるなら過程があり、過程があるなら原因があって然るべきであり、原因があるならば、そこには問題が存在し、課題抽出によって解決可能な要因に分割でき、世にはウン千、ウン万ともいえる課題解決のフレームワークがあり……

――ではなぜ僕は畦道にいる?――

 そしてこの頭はいつもショートを起こす。

――――――

「帰り道がわからないの?」

――――――

 夏草の中から聞こえる声を何度も思い出す。暮れていく夕日。暗闇が迫るなか僕は畦道でいったい何をしていたのだろう。声を聞いて。そのあとどうしたのだろう。声の主もわからず、ただ踵を返して家へ帰ったのだろうか。

 黄昏時に声が聞こえるなんて、今、冷静に考えれば良からぬ事件の可能性もある。当時だって、子供とはいえ草むらから聞こえる声に、少なからず恐怖も感じただろう。覚えていそうなものだけれど。

 実家から車で五分。丘の上にある墓地へくる。このへんでは珍しいといわれるカルストの草原地帯に墓地がある。岩がぼつぼつと控えめに顔を出す、小さな草原。

 その周りをコの字型に雑木林が囲んでいる。雑木林から増えてきたのか、墓のそばには栗の木が生えている。黄緑色の栗のいがが、生えそろった葉の隙間から顔を出している。きっと秋になると栗拾いに来る人がいるだろう。

 丘の上からは田園地帯が見える。

 心がこぼれ落ちたらしいあの畦道もそこに含まれている。僕は汗でシャツを濡らしたまま墓を熱心に洗う。乾き切ったお供え物の残りや、萎れた供花を草むらに投げ捨て、ポリタンクに汲んできた水を節約しながらバケツにそそぎ、柄杓で少しずつ墓の上から水をかけ、束子と雑巾をつかって、なるべく無心になって手早く洗う。

 家名の溝に蜂が泥で巣を作ってある。こびりついた泥をゴシゴシと洗い落とす。

 今も問題がなにひとつ解決しておらず、僕は本来あるべき姿に対して間違ったかたちに人生を歩んでいるのではないか。たびたびそういう焦燥感に駆られる。問題が何かもわからず、焦りばかりが募り、愚かしいことこのうえない。幾重にも折り重なって、からまった糸同士が固く結ばれてしまい、はたから見るとひとつのかたまりのように見えているのが自分なのだと思う。あるいはそれは美園先生のいったマブイのようなものか。

 抱きとめる……か。いったいなにを抱きとめれば夢の理由や、記憶の声の主や、突然起こるわけのわからない動悸が治ってくれるのだろう。具体的なが欲しいのだ。すべてはつながっているようにも思えるし、でも実際のところは、なにも関係していないのかもしれないし。ただただ僕自身がひとり相撲をして、絡まり合っているだけなのかもしれないのだ。

 ため息が出る。

「ねえ、いったい、あのとき、僕はなにを落としたんだろう?」

 買ってきた桔梗を墓にそなえる。

 墓はなにも答えない。

 この下に父が入っているのだと思っても、いまだ僕にはその実感がわかない。墓は墓でただ、そういった体裁ていさいのための大きな石として、カルスト地形の一部をになっていて、父は別のところに存在しているように思える。父はいったいどこにいるのだろう。僕はふと思う。この墓にいないとしたらどこにいるのだろう。

 風が吹いて草木を揺らす。暑い日差しをひととき隠していた大きな雲が通り過ぎる。太陽は黙ってまぶたを照らす。肌は少しずつ焼かれ、汗はふたたび吹き出しはじめる。小さな糸は自分に絡まっていく。耳だけが冷静にヒグラシの遠く鳴く声を聴きとって、たしかに訪れるであろう秋を僕に予感させている。

(了)