私の時代のクッキング|7,241文字

私の時代のクッキング遙夏しま2021・01

「みなさん、テーブルの上のお野菜を確認してください」

 レタス、トマト、タマネギ半分、山芋、オクラ、モロヘイヤ……

 料理教室の長山先生がにこやかに案内をする。

 後ろできれいにまとめられた白髪まじりの髪。ちょっとくすんだシルバーの細いフレーム眼鏡。レンズの奥の控えめな目尻のシワ。肌にとけこむ簡潔なメイク。生成りのリネンエプロンは使い込まれているのに清潔感にあふれている。

 年相応のたたずまいなのに、落ち着いていて、ずっと「お姉さん」という感じ。とても素敵。つまり私の憧れだ。

「次はお魚とお肉、切り身になっているのがカレイ。豚肉はこま切れが250gあるはずです」

 ガヤガヤとした料理教室のスタジオ。今日のレシピでつかう食品が各テーブルに並べられている。アシスタントさんたちが忙しそうにいききする。テーブルひとつにつき四人の生徒がいっしょに料理をつくる。

 料理教室のグループは、その日に先生が決めている。決め方はランダムらしい。顔を知っている同士があつまれば気やすいが、そうでないときもある。

 今日、私のいるグループは誰も知り合いがいない。年齢層が若い。私以外は全員二十代だろうか。そもそも四十歳をこえて初級者向けの料理教室に通いだす私のような人間がお門違いなのかもしれない。長山先生は「全然、そんなことない」と言ってくれたけれど。

 私のテーブルには女性三名と、男性が一名いた。

 男性……料理教室には珍しいな。背が高い。

 悪い癖でじっと見てしまう。するとその男性が「なんですか?」とイタズラな顔で微笑んできた。名札には『三燈世純』と書いてある。読めない。

「あ、いえ。ごめんなさい。なんでも」

「大丈夫、ちゃんと食品チェックしてますよ。でも」

「そういうわけじゃ……

 頭のなかを見すかされた気がして少し顔が赤くなる。「ごめんなさい」とふたたびあやまるついでに、名前の読み方を教えてもらう。「ミトウ・ヨジュン」と彼が答える。苗字も名前もあまり聞いたことがない。へえといったまま固まっていると「珍しい名前ですよね。オリエさんも」と彼が私の名札を見てほほえんだ。

 私が話しかけたのを機に同じグループのふたりも彼に話しかける。「マキと呼んでください」とひとりが言い、もうひとりが「私はリです」と言った。一応、私も「折江です」という。しかし女性陣の顔は、あきらかに私ではなく彼の方を向いている。

 マキさんと、リさん。どうやらふたりは友達らしい。料理教室には珍しい、背の高い同年代の男性に興味津々のようだ。

「ミトウ・ヨジュンです。ミトウとか、ヨとか呼ばれます」

 涼しげな笑顔で彼が挨拶する。女性ふたりは顔を合わせてニンマリし、そのあと彼に向けて上目遣いで「じゃあ……ミトウさんで」と恥ずかしそうに言った。

 そのあとリさんが、すぐ私の方へ向きなおり「オリエさんよろしくお願いします」と言う。つられてマキさんも「あ、お願いします」という。

 ふたりに悪気はまったくなさそうだ。本当に彼へ見惚れてたのだろう。いい気分ではないが、別に悪くも思わない。若いっていいなぁとだけ思う。楽しそうだ。

 長山先生がレシピの説明を始める。

「今日は二十四節期でいう大暑にあたります。暑い時期に滋養をもとめて食べられた食品ということで、ネバネバがおいしいオクラや山芋、モロヘイヤをつかった簡単なレシピをひとつ。あとは夏においしくて疲労回復に効くビタミンB1が豊富な豚肉ですね。これとトマト、レタスを合わせてさっぱり食べられる冷しゃぶを作っていきます。カレイは……

 長山先生がすらすらとレシピを紹介する。やはり素敵だ。レシピの説明をしながらたまに眼鏡のエッジをクイっとあげる。あの仕草もとてもかっこいい。私もマネしたい。あのためだけに眼鏡をかけたい。視力が2.0もある自分を呪いたくなる。

 配られたレシピシートを見るフリをして何度も長山先生の着こなしをチェックしていると、そんな私に気がついてたのか、「オリエさん」とミトウくんが話しかけてくる。料理そっちのけだったことを思い出して慌て、「は、はい!」と返事がうわずる。しかしミトウくんは私を注意しようと思ったわけではないらしく、別の話を始める。

「変ですよね」

「変? なにが」

「暑い時期に滋養をもとめて、なんて」

「え?」

 ミトウくんがにやりと笑う。

「だってエアコン、あるじゃないですか」

 エアコン……

「考えてもみてくださいよ。この暑いのに、わざわざ外に出ます?」

「うーん、まあ……出ないけど」

「ね、暑くて死んじゃいますよねぇー」

 ミトウくんがしてやったりな笑顔になる。

 エアコンねぇ。私は思う。若いのだ、彼は。そういう一々に疑問をもって、小さな反旗を翻したくなる年齢なのだ。私にもあったかもしれない。父や母や、やさしく親しい誰かに向けて、小さな反旗を翻し、そして受け入れてもらおうとする。他人を巻き添えにした、自分の安心のためだけの小さな儀式。

 テーブルの向かいで女性ふたりがチラチラとこっちを見ている。ミトウくんが私と話しているからだ。本当は自分たちが話したいのに。悪いことなどしていないのだが、少し気まずい感じがする。

 だって四人グループであなたたちふたりが友達なんだから、自然と対面にくるのは私とミトウくんになるじゃない。隣だったら世間話くらいするでしょう。仕方ないの。リさんとマキさんにそう言ってやりたいが、そんな言い訳がましいことをいう必要がどこにあるのだと思い立ち、すぐやめる。

「まあ……そうかもしれない……ね」エアコンなんてどうでも良かった私は曖昧な返事をする。ミトウくんは広角をにんまりとあげる。私が曖昧に打った相槌を「イエス」の意思表示と受け取ったのか、涼しげな笑顔のままエアコン話を広げてくる。

「どうせ室温なんて一定なんですよ」

「はあ」

「滋養とか難しいこといわず、味だけ求めたレシピにすればいい」

「まあ。そうかしらね」

「いります? 料理に暑さ対策とか」

「うーん……

 私は考えるふりをする。

「えーでもやっぱりいるんじゃない? ほら。季節って大事だし」

ですか?」

「うん、だって季節と食ってすごく密接に結びついてて、私たちの国には長くそういう文化があったから」

「へえ。オリエさん、季節に詳しいんですね」

「え? そ、そうかしら……?」

 最近の子は季節すら知らないのかしらと疑ってしまう。

 でも夏の滋養に対してエアコンだものな。こんな時代だとそうなのかもしれない。室内は空調が行き渡っていて、いつだって完璧なまでに平穏で中立な温度感になっている。私たちの住空間は気温も湿度も平行線だ。

 一方で外では毎年、異常気象が繰り返されている。「例年とは違う異常な……」といったセリフもいつの間にやら天気予報の常套句になっている。高温、ゲリラ豪雨、水害。かと思えば日照不足、雨不足、冷夏に暖冬。

 鯨は何匹も打ち上げられるし、バッタはあちこち大量発生するし。なにがなんだかわからない。

 ガラス一枚隔てた向こうとこっちのギャップが大きすぎて、どちらが現実なのか、だんだんはっきりしない気分になってくる。そういう意味では彼のエアコンもなんとなくわかる。

 よく冷えた料理教室のスタジオで聞く「大暑」という言葉は、妙に現実味のない宙ぶらりんな現実をよく現していると思う。

 いつから世界はこんなに宙ぶらりんになってしまったのか。

「でもですよ」ミトウくんがわずかに息を荒くして話をつづける。

「やっぱりなんかピンとこないですね。食材だってわざわざ、こんなに用意して。そこまでやる必要あります? 山芋ですっけ? ベトベトしてなんかヌルヌルだし……気持ち悪い」

「そりゃ山芋だから、ヌルヌルするでしょうよ」

「いらなくないですか? ベトベト」

「いや、いらないっていってもねえ……。オクラもそうよ」

「オクラ……これもベタベタなんですか?」

「そうよ。こないだ長山先生に別のオクラのレシピ、教わったもの。モロヘイヤもそう。茹でて、刻んで、叩くと、ネバネバした成分が出てくる」

「うへぇ」

「それが身体にいいのよ」

「またカラダ……

 ミトウくんが苦いものでも口にしたかのように舌を出す。テーブルの向こうでマキさんが「えぇ? ミトウさん、どうしたんですかぁ」と笑う。話になんとか加わりたいのだ。会話に混ぜてやりたいと思う心と、そのまま見せつけてやろうと思う心が半々になる。

 ミトウくんは私の真意にもマキさんの真意にも気付かず、自分のオクラネバネバ反旗の世界でまいったまいったと首を振る。

「そういうのいらないですよ。なくせばいい」

「なくせばいいって……。食材が持ってる特長なのに?」

「だってなんでわざわざベトベトを食べる必要があるんです?」

「でもベトベトは胃にいい成分なのよ」

「なら胃にいい部分だけ残せばいいでしょ?」

 私は黙ってしまう。

 彼が言っていることは正しい。たしかにそうなのだ。私たちにはそういうことができる。だって私たちは結局のところ、食材を森や草原ではなく、食品工場で生成しているから。見た目も均一、味も人間好み。野菜ひとつとっても元来、野生だったであろう植物は人の手によって、その組成を如何様にでもコントロールされるようになってしまった。

 そういう時代になってしまったのだ。だから彼のいっていることは正しい。どちらかといえば私が時代遅れで、価値観をリライトすることができない怠惰な性分なのだと思う。そうなのだけれど。私はそういうのがあんまり好きじゃないのだ。食材の存在を曲げるような行為。本来の在り方を捻じ曲げるような。

 だからわざわざ、長山先生の料理教室に通っているのだ。彼女は食材の本来的なあり方を大事にする。そういうのが好きでここの生徒たちもみんな、そういう意志のもとに通っているのだろう。彼は違うのだろうか。

「ねえ、知ってます」ミトウくんのしてやったりな演説は続く。長山先生のレシピ紹介が終わり、そろそろ調理に入ろうとしている。テーブルの向こうでマキさんとリさんが、ミトウくんの話に聞き入るふりをして、顔をじっと見ている。

「昔は野菜の葉っぱにが空いていることがあったんですよ」

「穴?」

「そうです。オリエさんが好きな二十四節気が食と結びついてた時代です」

「別に好きってわけじゃ……

「なんの穴だと思います?」

 わからない。穴? 野菜に穴が空くなんて。

ですよ」

 ミトウくんが再びうへぇといった顔をする。表情が豊かな子だと思う。年齢だろうか、性格だろうか。すましていればスラッとしていて、なかなか美少年なのに。顔をしかめるとどうしても眉間にうっすら残った眉毛に目がいってしまう。

 それにしても虫とは。野菜に……虫?

「僕、一応、大学生で考古学部なんです。古代の食を専攻にしてるんです」

「へえ」

「でね、資料がわりと残ってる"ネット興隆期"の食を調べてるんですよ。二万年くらい前かな。大昔だけど、当時の人々は高い技術を持っていたらしくて。百年分くらいだけ。たくさん資料が残っているんです。その時代はオリエさんのような知識深いかただけじゃなくて、多くの人がまだ四季を知っていました」

「ち、知識深いかな……? 四季くらいで」

「いやいや、今や雨と晴れだけになったこの国で、季節と食がつながってたなんて言葉が出てくるだけですごいです。前のふたりなんて、絶対、そんなこと知らないでしょうね」

 ミトウくんがテーブルの対面を見ながら小声になって私に言う。どうしたのといった具合でマキさんとリさんがにこやかに笑顔を返す。まあたしかに前のふたりは知らないだろうなと私は思う。

「でね、ネット興隆期の資料を見るとすごいんですよ」

「何がすごいの?」

「野菜をね。なんと土の上に生やすんです。野生の植物みたいに」

「知ってるわ。私、それは調べたことあるもの。農業でしょう」

「さすが。その通りです。そこでは人間が手作業で窒素やリンなんかを土に混ぜて、理想の形や栄養になるように野菜をコントロールしようとしてたらしいんですよ。なんて野蛮で原始的な」

「すごいわよね」

 私たちの祖先は過去。外の土を活かして食べ物を作っていたのだ。そこに野菜のエネルギー成分を撒き、彼ら自身に成長をさせたのだ。自然本来の在り方だ。

「でね。土で、つまり外で育てるものだから虫が野菜を食べにくるんですよ」

「はぁーなるほど……それは知らなかったわ」

「当時って色々な虫がいたらしくて、そのなかに蝶っていうのがいまして」

「チョー? バッタじゃなくて?」

「あぁ当時もバッタはいて野菜を食べたらしいです。でもよく野菜を食べたのは蝶という虫のようですよ。今は絶滅してますけど、不思議な虫です。ヒラヒラしてて。卵を産みつけて幼虫が野菜を食べるんです。だから穴が開く」

「へえ」

「もっとすごいのは、育てた野菜をってことです」

「なにそれ……

「考えてみると当然なんですけど。外で生きているのだから、食べるために刈り取るんですよ。バサっと。切っちゃうんです。すごい野蛮でしょう? 生きた野菜を土にんですよ」

「へぇ、信じられない……

「ねぇ、今みたいにして生成するのとは全然ちがう」

 ミトウくんが嬉しそうに笑う。

「もっと野蛮なのは肉ですよ。牛、豚、鶏とかそういった家畜といわれる動物を、狭い室内で育てて、頃合いになるとやっぱりバサっと刈り取るんだそうです。植物も酷いけれど、動物もそうするとは。さらに酷い」

「そこまでいくとダイナミックですごいわね」

「殺してから、食べる部分を加工して、他は棄てる。今もほら、この豚のこま切れってあるでしょう? プリントアウトなら色形は自由なのに、なんでこういう色や形をしているか、考えたことあります? ずーっとずーっと昔、豚を殺して、分解していたからなんですよ」

「えぇ……なんかショックね」

 彼の話につい聞き入ってしまった。穴。そんなこと知らなかった。野菜に虫の穴が空くのだ。育てて殺す。野生の野菜を活かして、そのくせ刈り取るのだ。豚を育てて、殺すのだ。命を刈り、そして己の血肉にする。食品工場で必要な組成成分を組み合わせて、プリントアウトするのとは全然ちがう。

「そういったをやる職業があったみたいですね。当時は」

「いやな仕事ね。なり手があるのかしら」

「その時代の経済を調べてる友人いわく、貨幣を持たぬものが、持つものから命令されていたそうなので、彼らがやっていたようです。あとはじゃんけん」

「じゃんけん?」

「占いと賭博をまぜたような勝負の慣習です。それで負けたものが食材の殺し役をやっていたようですね」

「すごい時代なのねぇ」

 私は古代の食べるための殺しに思いを馳せる。

 その野蛮さ。神聖さ。力強さ。

 古代の食事はなんとも罪と科に溢れている。

 生きている感じがする。とても。

「僕が調べている二万年前のネット興隆期はおもしろいんです。外を移動するのに個人が自家用車を購入して自分で動きまわったり、かと思えばぎゅうぎゅう詰めになってみんなで山手線さんしゅせんという細長い蛇に乗ったりするし、経済は貨幣という物質交換によって動いているし、宗教戦争っていう人間同士の殺し合いがあるし」

「なんだかエネルギッシュ」

「なによりその頃、人の指は

「へ?」

 指が……五本?

「そうですよ。今はみんな、指は六本。左右で十二本がふつうです。でもネット興隆期のその当時くらいまでは五本、五本のあわせて十本が主流だったようなんです。原因はまだはっきりしてないんですけど、ある時代で急激に六本指が主流になったらしいですね」

「そうなんだ」

 彼が掌を広げて私に見せる。親指、人差し指、高指、添え指、薬指、小指と、六本の指が整然と並んでいる。長い指。きれいな手だ。もちろん私も六本だ。マキさんも、リさんも、長山先生もそう。

「指一本の違いだけれど、人類は指が六本になったときから殺し合いを極端に減らしたと言われてます。とにかく五本指のときは高い技術と野蛮性に支えられた自由な時代なんです。今とは全然ちがってエキサイティングだ」

 彼はそこまでいうと満足したように長山先生の方へ向きなおった。私はミトウくんから聞いた古代人を頭のなかで想像し、反芻する。

 五本指の野蛮で自由な古代人たち。野菜を殺し、動物を殺し、暑さに食で滋養をとった先人たち。私は彼らの亡骸の先に延長線上に今を生きているのだと考える。不思議な高揚感に包まれる。これを古代ロマンとでもいえばいいか。

 調理が始まる。「最初は冷しゃぶからいきましょう」と長山先生が案内をする。

「今からいう食材をピックアップしてください。豚こまとトマト、レタス。白ごまとみそ、胡麻油は小皿に載せてあります。あとは少しのお水と、盛り付け用の大皿」

 私達は言われたとおりにする。

「以上を調に入れてください。入れましたか? そうしたらを組みましょう。カット、茹で、冷やし、かき混ぜ、氷作成。それと冷しゃぶ用の盛り付けをセットしてください」

 私達は言われたように食材を調理メーカーへセットし、それぞれの調理工程をプログラミングしていく。トマトとレタスをカットさせ、豚肉を茹でさせ、作成した氷で冷やしながら、ごま、味噌、胡麻油をかき混ぜる。

 長山先生のやり方でプログラミングすれば、調理メーカーの動きの塩梅はとても人間臭くなるから不思議だ。繊細でいて、大雑把。必要最低限という言葉がピッタリの素敵な調理工程。なんて素敵なのだろう。本当に憧れる。きっと古代からつづく先人たちの感性が長山先生には宿っているのだろう。私も長山先生のようになりたいと思い、料理への情熱が湧き出てくるのを感じる。

「そういえば二万年前は調理も人が刃物をつかってやってたらしいですよ」というミトウくんの新しい古代ロマンを聞いてなかったことにして、私は目の前の調理メーカーに熱心に冷しゃぶの調理工程をプログラミングする。

(了)