Writing dream & 彼女|3,919文字

Writing dream & 彼女遙夏しま2020・03

 小説を書くんだから多くの人に読まれたい。

 叶うならば「売れっ子作家」になってウハウハしたい。

 自分の小説が何十万人に読まれ、何億円もの利益を出すのだ。

 いい。

 最高。

 そうなってみたい。

 おほんおほん。

 いや、そういう欲はものを書く上での本質ではないことはわかっている。ややもすると小説の中身に下卑げびた下心が映り込んでしまう。良くない。だから思い浮かべてもすぐ忘れるようにしているのだが、なぜか頭に浮かび上がる回数がこれまた多い。気が付くと新作発表の記者会見で映画化についてインタビューされ、気の利いたコメントを返す自分を思い浮かべてしまうことも少なくない。

 ちなみに作家デビューはしていない。

「はぁー今日もゼロPVだわ」俺は目の前のテーブルに座る彼女にむかってため息をつく。スタバのソイラテをうまくもなさそうに飲んでから、彼女は「まぁまぁ」と微妙な笑顔でフォローをいれる。

 大学時代に同級生として出会った俺たちは三十代に入る今でも結婚もせずに付き合っている。同じ文学部を卒業し、彼女は小さなメーカーの営業職に、俺は出版社で雑誌編集者になった。

 文学部を出るからには文筆で飯を食おうと志す自分と比べて、あまり志の高くない道を選んだなぁと思っていた彼女はメーカーでトップ営業プレイヤーとなりあっというまに役員クラスへ昇進した。営業界隈では知られた人となりそのまま引き抜きで広告代理店へ転職。見事にそこでも花開いて「なんでも売れる人」のキャッチコピーで俺より先に本まで出し、今はメディア広告を統括する部署の本部長をやっている。

 一方、俺は編集業と二足のわらじで創作時間のとれない兼業作家に嫌気がさし、引き止めも無視して会社を辞め、とりあえずフリーランスになったものの生活資金がすぐ底をつき、コンビニのアルバイトと地方雑誌の編集仕事で食いつなぎながら俗にいう「売れない作家」をやっている。

 いや待て。作家としては一円も売ってないんだから、「作家志望」が正しいかもしれない。

 三十歳、作家志望。

 く、苦しい……

 小説を書いても書いても賞がとれず売れない。「今はウェブが読まれるから」と知人にアドバイスされいくつか小説サイトに登録してみたがそれも読まれる気配がない。トップページでは百万PV感謝だとか騒いでいるが、こちらはゼロである。百万なんて現実に起こるのか怪しく思えてしまう。

「会社を辞めて四年、書いてきたけどサッパリだ」

「大変ねぇ」

「大変ねぇ。そのとおり。書けども書けども読まれない」

「今は文章ってなかなか読まれないから」

「読まれないどころか誰の目にも触れない。ゼロPVだぞ。この四年、百万字じゃ収まらないくらい書いた。長編を三本書いて、賞だって十本以上投稿した。短編なんてもう覚えてられないくらいおびただしい数を書いた」

「頑張ってるものね」

「頑張ってる。その通り。しかしその頑張った物語が、いったいどれだけの人の目に触れただろう」

 自虐ネタのつもりが言ってて本当に悲しくなってきた。コーヒーをひとくち飲んで気を紛らわそうとするが、もやもやが晴れない。編集者時代には忙しくてなかなか彼女とも会えなかった。いまや土日に限らずランチタイムだって会えてしまう。

 俺に大した仕事がないからだ。

「売り方で変わるかもよ」彼女が言う。

「さすが一流営業マン」俺は口の端をあげて言う。

 売り方で変わるだって? 売り方で作品が読まれ、称賛され、映画化の話がくるんだったら、いったい。まいったね。もし本当に売り方で小説が読まれるんだとしたら、この世界の人々は物語ではなくて売り方を望んでいるってことになる。

「でも売れるだけがすべてじゃないでしょ?」彼女がいう。

「そういうのは売れてる奴が言うんだよ」俺が返す。

「売れるっていうのも大変よ、きっと」

「何が言いたい?」

「今、頑張ってるなら、それも素敵」

「はぁ、ビールでも飲みに行きたい」

「ダメよ、こないだ慢性胃炎が見つかったばかりでしょ」

……

「生活習慣がよくないんじゃないの? もう三十なんだし無理は禁物だよ?」

 なにも言い返せない。彼女は週休二日の堅実な営業仕事を続けて、今や大手企業で本部長「なんでも売れる人」だ。かたや俺はなんだ。会社をやめてコンビニでアルバイトするただの凡人。胃を痛めているただの中年だ。中年フリーター。言葉が重くのしかかる。

 しかし書くことを辞めるわけにはいかない。

 小説は俺にとって最後の砦みたいなものだからだ。

 売り方だってさ。

 売り方……

 売り方なんて……

 はぁ。

「なに?」

「売り方なんていうなら、おまえが売ってくれよ……

 気がつくとそう呟いていた。

 言った瞬間、自分のことを最低だと思った。

 作品が読まれないのを彼女のせいにした。そんなこと絶対にありえないのに。彼女が俺の小説に口を出したことがあっただろうか。皆無だ。彼女はただずっと俺のことを見守ってくれた。

 いや考えようによっては彼女は付かず離れずだった。彼女は俺の作家になりたい夢をどこか興ざめして見ていたのかもしれない。いつか諦めるだろうと距離を置き、そして今、諦めかけている俺を見て「言わんこっちゃない」と嘲笑っているのだ。そうに違いない。自分は出世したからって俺を馬鹿にしているんだ。ちくしょう。の何がえらいんだ。

「何でも売れるんだろ? 俺の本……売ってよ」

 下を向く。もう別れるんだろうなと覚悟する。いろいろなことが潮時なのだ。泣きそうになっていると、目の前の彼女がなんてことなさそうに「いいよ、売ってみようか?」と言った。

――――――—―

 結論からいえば俺の小説は売れた。

 作品がいくつかの賞をとり文芸誌で紹介された。出版の話がきてそれなりに規模の大きいコマーシャルで拡散され印税も入った。作家としていくつかのエッセイ仕事の依頼をこなし、このあいだ初めて(本当に)映画化の打診まで届いた。

 彼女が俺の小説を売りだしてから、一年半の間に起こったことだ。

 俺は山手線のホームでサングラスをかけながら、自分が写ったでかい広告ポスターを眺める。「人気作家 宮野圭太の新作」と書かれた文字の横で、真顔で緊張した俺が斜め上に視線を流している。変な感じだった。

「売ってみようか?」と言ったあと、彼女は条件として「売り方に口を挟まないこと」といった。やけになっていた俺は彼女の条件を飲んだ。売り方。それによって作りたい小説作品は書けなくなるだろうことが予感された。彼女がさっそく「小説内容を変えることもあるけどいいよね」と言ったことで予感は確信に変わった。すべて面倒で投げ出すことにした。もうどうとでもなれだ。

 俺は一旦、作家活動のすべてを彼女に任せ、かわりに病院を予約し胃カメラを飲んた。自炊を始め、コーヒーとビールをやめて、平日は朝六時から夕方四時までコンビニで働き、仕事が終わるとジョギングをして野菜を多めに食べて温かい麦茶を飲んで夜九時に寝た。

 空っぽで健康な生活だった。

 一ヶ月が経つと彼女から「うまくいきそうだ」と連絡が入った。二ヶ月経つと「良い賞を取れそうだ」と連絡がきた。三ヶ月経つ頃には「小さな賞が四つと大きい賞の最終候補に残った」と連絡がきた。かの有名な群青色新人賞だった。その後もひと月経つごとに何かが起きた。

 あれよあれよという間に俺は著名作家になっていった。

 まるで魔法にでもかかったかのようだった。

 しかし俺の気持ちは晴れなかった。たしかに俺の小説だ。しかし売ったのは彼女なのだ。彼女が作品を解釈し、彼女が見せ方を考えて、彼女が作品を伝えた。それはほんの一年前、俺がやっていたときには誰も目にくれないシロモノだったのだ。

 だとすれば、

 一年半ぶりにビールを飲むことにした。

 胃がすっかり治ったのだ。

 文芸賞の賞金で鉄板焼きのお店を予約して彼女を誘った。「売れたでしょう?」と彼女は嬉しそうにいった。乾杯してビールを飲んだ。一年半ぶりのビールは体に染み込むようにうまかった。彼女は作品について饒舌じょうぜつに語った。今や部署内でもあなたの話があがり、私は鼻が高いと彼女は冗談ぽく笑った。

「たしかに売れたけど」俺は我慢できず彼女に言った。

「だけどこんな話は聞いてない」

「売り方に口は出さないって言ったでしょう?」

「そうだけど……なんで」

 なんでよりによってなんてことをしたのだ。

 たしかに俺は喋りかたが男っぽい。ビールも飲むし、態度もでかいし、背もわりとでかいけど。でもなんだ。モテないからいつも親友の彼女とつるんでいるけれど男性が好きだ。モテないから切ない恋愛小説ばっかり書いている、れっきとした女性なのだ。

 なのに宮野圭はないだろう。

 宮野圭子だ、俺は。

 しかも小説の主人公は主語を全部「私」から「俺」に変えられていた。主人公が全員、男になっていたのだ。これじゃあ男が男に恋をしている。俺が書きたかったのはこんな話じゃない。

「あなたはビジュアルも良いし、小説もそっちに絶対に需要があるし間違いないと思っていたの」彼女は得意顔でビールを飲む。今日の彼女はやけに機嫌が良い。のんきなものだ。こっちは忙しくなって、今日なんかやりたくもない男装で宣材写真を撮影したあと、着の身着のままここまで来たっていうのに。

「宮野圭太くん」彼女が嬉しそうに笑う。

 俺の小説は「女性の恋心のような主人公男性の切ない同性愛」が世間に好評なんだそうだ。

 おいおい。

「文句は言わない約束でしょ」

「そりゃまぁ売れたし、文句は言えないけど……

 俺は、いや作家 宮野圭太はどうしていいか分からず、頬杖をついてこちらを見つめる笑顔の彼女をただ見返している。

(了)