喉元の想像
「君も再び流れるのかい?」主人が聞く。
「流れる? 再び?」
「そうだよ。流れてきた者はみんなそうする。いくらかこの島に滞在して、その後、また導かれるように流れていく」
「そうなんですか? なぜ?」
「だから理由はわからないよ」
「人のことだもの」主人は陽気に笑っている。流れてきた者に対してまるで興味がないのだ。彼らがなぜここへ漂着し、どうして再び流れていくのか。彼らはいったい何者なのか。そういった事柄は喫茶店の主人にとって分厚い壁を隔てた遠い世界の物事だった。道端の草花が咲き乱れ、枯れていくことと同じように、主人は「彼らはただ流れて到着し、そしてまた流されていくんだ」と笑った。微笑みの裏に「君もだろう?」と文句をつけて。
私は自分が濁流に流されることを考えてみる。
東日本大震災のときテレビ中継で流された映像を思い出す。余震がおさまってからも私は YouTube で何度も何度も津波の動画を繰り返し眺めた。
陸前高田、大船渡、東松島、石巻、南三陸、テロップに浮かぶ数々の地名とともに、あらゆるものが黒い濁流に押し出され、破壊された。数百もの車が塵のように水面に浮かび、そして沈んでいく映像を目で追った――その車の、その建物のなかに多くの人が入っていたのだ――。
血流の下がるような身震いを何度も起こしながら、私はずっと画面を観ていた。老人が「悪魔がきた」と呟き涙を流した。目を逸らすことができなかった。ほとんど強制的にそれを観ないわけにはいかなかった。
もう十年が経つのに今思い出しても鳥肌が立った。さっき自分が「その急流の恐ろしさに関わらず」なんてフレーズを気に入ったことを後悔するような記憶だった。私はその地震のとき練馬区に借りた部屋にいた。停電や交通麻痺の真っ只中に放り込まれたが、津波も建物崩壊も自分のところでは起こらなかった。あの時の状況を単純に比較することはできないが、それでも津波の直撃と比べれば「自分はまだマシだったのだ」と思える。
もしかしたら私が津波に飲まれる街の動画をへばりつくように見ていたのも、老人が悪魔がきたと震えながら泣きじゃくるのを見つめていたのも、「自分はまだマシだったのだ」と思うためだったんじゃないかと思うことすらある。
いやきっとそうだったのだ。不安で不安で仕方がなくて画面の向こうに目を覆うようなどん底を探していたのだ。それを焚き火がわりにしていた。安穏としたところから「あぁ良かった。あれじゃなくて」と自分ばかりを暖めていたのだ。
あの濁流が自分のなかに巧妙に隠していた、あらゆる薄ら寒いものを表へ引っ張り出してしまった気がする。十年の歳月が経っても私は目の前に差し出された自分の性悪い魂をどうすることも出来ずにいる。いまだあの画面を見つめていた練馬区の自室から一歩も動いていない気すらするのだ。
「もう少し、ここにいようとは思っています」少し冷めてきた珈琲の温度を掌に移して私は主人に向かって答えた。
「そうかい。君の自由だね。でもせっかくだからしばらくのんびり過ごすといい。僕らは想像の時間の外では生きていない人間だから。たぶん君のような人にとっては、珍しいこともあるかもしれない」
「想像の時間の外では生きていない?」
「そのままの意味だよ。つまりここは想像の島だからね。神の想像が全てであり、生の反対は無である」
「死が存在しない」
「死が存在しないわけじゃない。死ぬことだって想像に委ねられている。それだけさ」
「この珈琲の味も? マスターの性格も?」
「まあそういうことだね」
「本当にそうだろうか?」
私は考え込んでしまう。この島の神はすなわち私に当たるのに、この島は私を歓迎しているようには思えない。私は急流に流されることを望んだわけでもないし、喫茶店の主人が何か含んだ物言いをするのを望んだわけでもない。想像が全てであるならば、私の望みが全て叶うわけでもないこの島は一体なんなのだろう?
「それもきっと想像なんだよ」主人が笑う。
「まあしばらくこの島をゆっくり散策したら良い。狭くて孤立した場所だけど、いろいろなものがある。もしかしたら君が予想しなかったものを見つけられるかもしれない。さっきも言ったけれど想像の時間の外に私たちは存在しない。遠慮なく、ゆっくりされたら良い」
「もしかして私が誰だか気づいていますか?」
「流れてきたんだろう? さっき聞いたよ。それ以外は……まぁ君がその珈琲をおかわりしてくれたらゆっくり聞いてあげても良いけどね」
主人がいたずらに笑う。
なるほど想像がこの島の在り方に影響を及ぼすのだ。私は想像を喉元に突きつけられたような状態でこの島に来てしまったらしい。この不安定な状況もゆるやかに不自由な環境も、すべて私とつながっているのだ。
「あらゆるものが想像に委ねられているんだ」と主人は言って私にパンフレットを渡す。受け取ったパンフレットは島の観光マップだった。主人は「まぁそれを使って、しばらく観光してみたら良い。僕と話しているだけじゃ退屈だろう?」と私に言った。祖堂マップと書かれたそのパンフレットは、地方の観光協会にあるような三つ折りのカラフルな冊子で、マップの表紙には「良いとこいっぱいおいでませ祖堂」とポップな書体が並んでいた。
「良いとこいっぱいって……」まいった。それも私の想像に委ねられているのだ。しばらく考えて私は主人に「ありがとう」と伝え、しかたなく島を巡ってみる決意を固めた。店を出る。観光マップを開こうとしたそのときだった。
突然に昼食のアラートが鳴った。
――そうか、もう昼食か。
妻が「今日はねぎ塩カルビ丼なんてどう?」と私に言った。息子は言葉の意味を知らず「ごはん、ごはん」と喜んでいる。ねぎ塩カルビなんて言われても、冷蔵庫にネギもカルビも入ってないのだから作れるわけがない。私は「生姜焼きなら作れるよ」と妻にいうと、パソコンの前を離れることにする。
昼食はいつも私が作ることになっているのだ。
黒い群島のことを考えながら冷蔵庫へ向かう。私の頭の端っこの方で木星の海に囲まれた群島が浮かぶ。激流と黒い群島。その島のひとつには喫茶店があり、主人が作った冷たいチーズケーキと美味しい珈琲があり、そして私の想像がふたたび動き出すまで、彼らは密やかに、彼らの時間を止めているのだ。